記憶している人として

 

父方のおじいちゃんは仙台の実家に一緒に住んでたのだが、俺が中2の時に亡くなった。

 

夏休み中で、部活の練習終わってから家のリビングで戦国無双2やってたところに、当時小学生の妹が「お兄ちゃんおじいちゃん息してない」って走って伝えにきた。

 

俺はおじいちゃんの部屋に行くと、

もーちゃん(祖母)はパニックになりながら救急車に連絡してて、妹はおじいちゃんの横でなんやら叫んでて、

 

俺は息してないなら人工呼吸しなきゃと思って、トライしたんだけど

 

当時人工呼吸も心臓マッサージも、正しい方法を知らなかった俺はイメージだけでトライした

 

今思うと吹き込んだ空気は鼻から漏れてたろうし、心臓マッサージは力も弱かったろうしで、結局おじいちゃんは亡くなった。

 

 あれから何度も救急救命講習受ける機会あったけども、未だにちょっと後ろめたさみたいなものを感じるんだよな。俺がやると助けられないんじゃないかみたいな。

 

10年前の出来事をこんなふうに克明に覚えてる。

 

で、今年の正月。

おじいちゃんが志津川(南三陸町)が好きで通っていた話を前からよく聞いてはいたんだけど、暇だったもんだから、車で1人行ってみることにしたんだよね。

 

震災から7年経った今を見るみたいなつもりではなく、おじいちゃんの好きで通っていた場所がどんな場所だったのか行ってみたかったわけで。

 

利府から三陸自動車道にのると一時間で石巻に着く。

 

で、石巻からは海岸沿いを女川経由して志津川行ってきた。

 

石巻も女川も基幹産業は水産業なんだけども、印象として石巻が去年から変わってたのは復興公営住宅が建ってたところ(人が住んでる気配はない)

 

人が閑散としてたのは正月だからだと思ったんだけど、イオンとパチンコ屋はえらく賑わってた。

 

今っぽい風景だなあって思った。

 

女川以北はリアス式海岸が続くんだけど、入り江が現れる度に立派な港と防潮堤が整備されてることにびっくりした。

 

陸には街があるわけでなく、工事現場。

テレビ観てると復興がある程度進んでるんだなって思うけど、実際行って風景みてきて受ける印象は「工事現場」だと思うよみんなもきっと。

 

復興は確かに始まっているんだけど「継続」していくっていうのは、どんなに頑張ってもどうしようもない問題がでてきているはず。

 

生産業だと事業をせっかく再開しても、震災前の需要を得られずに経営が成り立たない話や、飲食店みたいなサービス業なら仙台みたいな都市部に人口が流出してるから、人を呼ばないといけない。

 

そういう、いよいよ「経営」って問題になると別次元になる。

 

立派な港やかさ上げされた土地を作っても、今さら住む人どれくらいいるのか。

 

7年目は「もう7年」じゃないのよ。

「まだ7年」の世の中だからみんな震災を記憶しているし、テレビで震災特集もやるし、被災地に足を運ぶんだよ。

 

だけどこの先20年、40年先の三陸の風景はどうなっているんだろ。50年先に三陸で震災経験してて、その地に生きていくと覚悟して、復興の志を持っている人はどのくらいいるのか想像してみる。

 

 

 

 

志津川で仮設のセブンイレブンでお茶買って、当然海を見るしかなかったのよね。

 

 


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俺のスマホの写真では多分伝わらないけど、綺麗な海だった。